秋田県といえば、ユネスコの世界自然遺産である白神山地と日本三大美林の一つである天然秋田杉が広く知られています。天然秋田杉の主産地は県北部の国有林です。天然秋田杉は広葉樹と混成していることが多く、彩り豊かな森林を形成しています。かつては豊富にあった天然秋田杉ですが、戦中・戦後の伐採で資源量が大幅に減少しました。なお、昭和57年からは人工造林の杉を「秋田スギ」、天然の杉を「天然秋田杉(天杉、てんすぎ)」と呼ぶようになりました。
秋田県の森林面積は82万1千haあります。この内訳は、国有林37万5千ha、民有林44万6千haとなっています。民有林の人工林面積25万6千haの内、スギ人工林面積は23万6千haで全国一の規模を誇ります。しかし、この中の47%が7齢級以下の若・幼齢林であり、下刈や除伐、間伐などの育林施業を必要としています。しかし林業労働者の高齢化や木材価格の低迷などにより、山の手入れが進んでいないのが現状です。
秋田県内での製材品生産量は製材工場数の減少もあり、大幅に落ち込んでいます。この現状を打開するために木材産業界では、良質な秋田スギ製材品を安心して住宅建築に使用していただくために「乾燥秋田スギ認証制度」を創設するなど、県産材の需要拡大に取り組んでいます。また、最近では秋田スギを原料としたスギ合板の本格的な生産や秋田スギ集成材の生産も始まり、秋田スギを取り巻く状況に変化が見られるようになりました。
秋田杉は豊臣秀吉が伏見城の改修工事で使用するなど、400年以上も前から広く知られていました。江戸時代、秋田藩主佐竹侯が林業経営に乗り出し、その家臣たちは各地で大きな功績を残しています。明治時代に入ると能代市に本格的な機械製材工場が設立され、全国的な評価を得ることになります。しかし、1970年の石油危機により木材産業は不況業種へと追い込まれ、いくつもの解決しなければならない課題が残りました。
秋田県といえば世界遺産に指定されている白神山地の広大な天然林や青森ヒバ、木曽ヒノキとともに日本三大美林の一つにかぞえられている天然秋田杉が広く知られています。
白神山地は秋田県と青森県にまたがり、その面積はおよそ13万haです。平成5年(1993年)12月に世界遺産に登録されたのはそのうちの16,971haで、そのほとんどは人為的な影響をあまり受けていない天然林です。この天然林にはブナの他にもミズナラやサワグルミなどの多種多様な樹種が生育し、また、クマゲラやニホンザルなどの野生生物も多く生息しており、貴重な生態系が維持されている地域となっています。
天然秋田杉は標準的樹齢が200〜250年と言われ、年輪幅が狭く均一でつややかな美しい木目をもったその材質は、銘木として高く評価されています。
かつては豊富にあった天然秋田杉ですが、戦中・戦後の伐採により資源量が大幅に減少し、近年では資源保護のために伐採が抑制されています。(残念ながら平成24年をもって天然秋田杉の生産は中止されることになっています。)
天然秋田杉の主産地は秋田県北部の米代川(よねしろがわ)流域の国有林です。天然秋田杉はブナやカエデなどの広葉樹と混成していることが多く、針葉樹・広葉樹が彩り豊かな森林を形成しており、これが秋田の原風景となっています。
なお、かつては「秋田杉」といえば天然秋田杉を指していましたが、天然秋田杉から人工造林スギへの転換と、秋田スギ産地銘柄化の推進を期待して昭和57年に秋田営林局(現在の東北森林管理局)、秋田県、林業・木材産業界が一体となって名称統一を実施し、人工造林の杉を「秋田スギ」、天然の杉を「天然秋田杉」と呼ぶようになりました。
参考文献:頑張れ森と木の国あきた(秋田県農林水産部)
秋田県の森林面積は82万1千haあります。この内訳は、国有林37万5千ha、民有林44万6千haです。総森林蓄積は1億4千万m3で、そのうち、民有林がおよそ9千万m3、率にして64%を占めています。
県内民有林の人工林面積は、昭和44年から展開された年間1万ha造林運動等により整備が進み、現在25万6千haとなっています。この92%を占めるスギ人工林面積は全国一の規模です(23万6千ha)。この中には戦後に植林されたものが多く、その結果、齢級構成は7〜8齢級(30〜40年生)をピークとした構成になっています。 特に7齢級以下(35年生以下)の若・幼齢林が全体の47%を占めていることから、下刈や除伐、間伐などの育林施業を必要としています。しかし、林業労働者の高齢化や木材価格の低迷による森林所有者の経営意欲の減退などにより、思うように山の手入れが進んでいないのが現状です。
参考文献: 平成17年度版秋田林業統計(秋田県農林水産部)
秋田県では、平成10年に285社あった製材工場が平成16年には194社まで減少しました。6年間で実に3割の工場が閉鎖したことになります。工場の減少は製材製品の生産量の減少にもつながっています。 平成10年の製材製品の出荷量は44万9千m3でしたが、平成16年は35万8千m3まで減少しました。出荷先別では平成10年と比べ県内向けが7割、県外出荷先の主力である関東圏向けが 6割の水準にまで落ち込んでいます。この現状を木材産業界では危機的状況として認識し、この状況を打開するために、現在、様々な取り組みが始められています。
その一つが「秋田県産材利用センター」が中心となって創設した、「乾燥秋田スギ認証制度」です。この制度は良質な乾燥秋田スギ製品を安定的に供給できる工場の認定と、そこから生産された製品の認証を行い、 安心して住宅建築に秋田スギを使用してもらうことを目的としています。具体的には、住宅の構造材などに品質・水準・含水率などの基準を定め、これに基づき生産された製品にブランドシールを貼り、品質が明確な 認証製品として出荷します。
県内には集成材工場が18社あり(平成16年)、生産量の全国シェアは18%前後で推移していますが、これらの工場で消費する原材料の98%はホワイトウッドやレッドウッドなどの外材です。なお、県内で 生産されている造作用集成材は減少傾向にありますが、構造用集成材の生産量は増加傾向にあります。
また、最近では秋田スギを構造用集成材の原材料として使用する取り組みが始まりました。平成16年には県北地区に、さらに平成17年には県南地区に秋田スギの集成材工場が完成し、それぞれ年間1万m3の集成材生産が可能となりました。
県内の合板メーカーでは、これまで、合板の原料としてラジアータパインなどの外材を使用してきましたが、製品開発が進み、平成14年からは秋田スギを原料にしたスギ合板が本格的に生産されるようになりました。 スギ合板は首都圏での住宅着工数の増加による需要増の影響もあり、生産量が増加傾向にあります。
参考文献: 頑張れ森と木の国あきた(秋田県農林水産部) 平成17年度版木材需要と木材・木工業(秋田県農林水産部)
秋田スギが全国的に名を馳せたのは今から400年以上も前のことです。戦国武将豊臣秀吉が伏見城の改修用材として秋田杉を使用したことが始まりです。その当時から秋田杉は品質が良く、資源としても豊富にあることが知られていたのでしょう。
その後、秋田藩主佐竹侯が林業経営に乗り出しました。佐竹藩家老の渋江政光が「国の宝は山なり、しかれども伐り尽くすときは用に立たず、尽きざる以前に備えを立つべし、山の衰えはすなわち国の衰えなり」と 林業の重要性を説いています。なお、佐竹藩木山方として仕えた千葉重蔵は田沢村(現在の仙北市田沢湖)の御山守として藩山を管理する一方で、自らの山にも15ha程度の植林を行い、現在その一部が千葉家家伝林 として残っています。重蔵は、文化6年(1809)〜文政10年(1827)の間に、スギ苗木209、000余本を育成し、村内外に分与して植林を奨めたことによって藩から扶持を加増されたという記録も残っており、 地域の林業振興にも大きな功績を残しています。
江戸時代の秋田スギ製品は丸太を二つ割りや四つ割にした半製品などで、日本海ルートで大阪、京都、北陸方面へ出荷していました。
明治時代には井坂直幹(いさかなおもと)が「能代挽材(ひきざい)合資会社」を設立し、本格的な機械製材により秋田杉の板材生産を始めました。これは「秋田の山挽きの柾板」として全国的な評価を得ることとなりました。 直幹はその後、東洋一の製材工場として知られる「秋田木材株式会社」を明治40年に(1907)に設立しました。
秋田杉が銘木として認知されたのは昭和22年(1947)です。当時の山林局(現在の林野庁)が全国銘木識別基準により直径70センチ以上の原木を銘木として承認したことによります。 当時は二分三厘(7ミリ)の秋田スギ板目板を生産していましたが、戦中・戦後の乱伐による資源の減少を見据えて、昭和27年(1952)からは「張柾天井板(張天、はりてん)」が生産されるようになりました。 それ以降、県内の張天業界は製材業と並ぶ主力産業として成長していきました。
秋田県は広葉樹資源にも恵まれ、昭和25年(1950)頃から良質なブナ材による床板生産が行われ、木工家具とともに主力製品として生産されてきましたが、最近では資源の減少により、 広葉樹産業は複合フローリングや輸入家具に圧迫されています。
1950年代半ばから1970年代初頭までの高度経済成長期には住宅産業界はそれまでにないほどの活況を呈し、それに呼応するように林業・木材産業界も右肩上がりに発展していきます。 林業界では昭和40年代から60年代にかけて拡大造林施策によりスギ人工造面積が増加し、それに伴い下刈、除伐、間伐などの育林事業が急増しました。木材産業界では、能代市に昭和47年(1972) 「協同組合秋田県銘木センター(銘木センター)」が設置され、その名のとおり秋田スギの銘木製品の市売りがスタートしています。また、その翌年(1973)には県北木材センターが設立され、 後の高樹齢人工秋田スギの十尺芯去り割角(しんさりわりかく)の開発と規格の統一化による販路の拡大を進めることになります。
しかし、昭和48年(1973)の第一次オイルショックに端を発した不況は第二次オイルショックを経て、県内の林業・木材産業界を次第に不況業種へと追い込むことになりました。 これ以降、構造的不況を脱するべく様々な方策がとられました。例えば、昭和60年(1985)には秋田スギの銘柄化を図るため、従来から曖昧さの 残っている役物(やくもの)、徳用等の規格の統一や含水率25%以下の徹底、統一マークの使用等を実施しています。しかし、品質性能の向上や安定供給体制の整備、コストダウンの徹底など、 解決しなければならない課題はまだまだあります。
参考文献: 木材用ハンドブック((財)秋田県木材加工推進機構)
千葉家家伝林について(仙北地域振興局農林部)
参考文献
林業基礎用語事典((財)林野弘済会)
千葉家家伝林について(仙北地域振興局農林部)
((財)秋田県木材加工推進機構 斎藤俊明、2007年4月)
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